住職からのご挨拶
戦後の復興を三代にて実現
寺は明治政府により、寺領没収(当時は三百八十石の寺領を有した)後、戦後の農地解 放では、神社佛閣の有していた農地はすべて解放となり、その為、当寺は辛酸を嘗めま したが、前住職三十八世都阿寂照老師は、百二歳迄長生きをされ、新規に境内墓地を造 成し、八十軒の檀家を倍としました。
それを受けて三十九世仁阿弘昭(私)は、塀150m廻し、その後、客殿、茶室を新 築、江戸時代の山門を改修、そして傾いて雨漏りしていた本堂を再建しました。仁阿弘昭は、駒澤大学佛教学部卒業。在学中は、参禅部に籍を置き、曹洞禅を学び、卒業後は、時宗の総本山清浄光寺にて修行。その後、寺に戻ってからは、下妻の地に在ったソニー(株)の工場で労務、人事、総務の仕事をしてきました。
五十二歳で寺を継ぐ事となり退社、同時に副住職として本堂再建に取り組みました。民間企業で得たノウハウを生かし、通常、寺建立は、三年で完成させるところを五年とし、前三年は、プロジェクトチームを結成して、構想設計に時間をかけました。
その結果、
(1)宗派にとらわれない、使いやすい寺を作る。
(2)将来を見越した寺を作る。
(3)地域に貢献できる寺を作る。
この三本の柱をもとに設計依頼、そして現本堂を完成させました。
三本の柱の詳細につきましては、次回、述べさせていただきます。
最近は、落葉樹を中心に250本以上植林し、境内の環境を整える仕事をしています。 四十世仁阿弘法は、市役所勤務をしながら副住職として、寺の法務についており、昨年、庫裏の建築にたずさわり、長年懸案であった、客殿、庫裏、書院、本堂を回廊で つなぐ工事を、中心となり推進しました。
明治、そして戦後、地方寺院は屏息してしまいましたが、当寺は、三代にわたって『寺らしい寺をつくる』という目標に向かい、今日、ほぼ完成するに至っております。
同じ市内に兼務している(仁阿弘昭が住職している)寺が二ヶ寺有ります。
時宗は、全国に五百ヶ寺弱しか有りません。しかし、茨城には、その一割50ヶ寺があります。その50ヶ寺の一割、5ヶ寺が、この下妻の地に有ります。市内、横町の高福寺は、新福寺の隠居寺として旧下妻街道沿いにあり、うっそうと 茂った樹木の境内を有しています。
市内大町の金林寺は、江戸時代、末寺2ヶ寺を有する寺でありましたが、江戸の後期頃から新福寺住職が兼務しており、十年前に新築致しました。この3ヶ寺は、同地域の中に檀家があり、寺は別々に存在していますが、法務は、3ヶ寺一体となって営まれています。