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お寺について

新福寺について

池上山瑞竜院新福寺 由緒

 文久九年(1272年)結城広綱公都阿知上人に帰依し、現結城市新福寺の地に長楽寺と申す一宇を建立開基号都阿知栄とする。然るに広綱公逝去法名を新福寺殿教阿弥陀佛と号す。これより長楽寺を改め新福寺と称する。康正元年(1455年)を多賀谷氏家下妻に築城するに当たり、城中に引寺、三百八十石を寄進し堂塔伽藍完備し塔頭一、末寺十カ寺を有する本寺である。明治十年及び四十三年の二回の類焼火災に山門を残し全部消失す。後本堂、庫裏を再建して今日に至る。(古過去帳による)

新福寺の阿弥陀如来 新福寺は時宗、浄土念佛のお寺として、開創以来、七世紀余にわたり、多くの祖霊に永遠の安らぎを与えてまいりました。時宗は、一所、一寺に止まらず、一切の所有から離れて遊行に捧げたことから遊行宗とも言われている格式ぶらない宗派。鎌倉時代末期に遊行四代呑海上人が開いた時宗の総本山浄光寺も通称「遊行寺」と呼ばれています。まさに新福寺は、深い伝統・歴史、そして親しみやすさをあわせもつお寺として、筑波山のふもとの雑念を一掃するかのような閑静な環境の中、生きた証を祀っています。

山門をくぐると一服の涼風が吹く寺

新福寺・庭 本尊、阿弥陀如来は、片足が半歩踏み出した遊行型式といわれる形をとっており、時宗が開宗された初期(鎌倉時代末期)に造られた本尊様です。
 筑波山のふもと関東平野の真中に位置し、有史以来地震を初め大きな自然災害を受けたことのない平穏と閑静な地に立地されております。住職は、「山門をくぐると一服の涼風が吹く寺」を目指し、紅葉を中心に落葉樹を二百本以上植林。そして境内は、何時どの季節でもなにかしらの花が咲き、夏から秋にかけては、柿、栗、くるみ、アーモンド、プルーンを初め、多数の果実が豊かな実りを与えてくれている寺です。
 建物は、本堂を中心に、書院・客殿・庫裏・茶室が回廊でつながっており、山門は、江戸初期に起こった「天狗党の乱」夜襲のときは、防禦としての門となり、また、茨城県で三番目に古い、下妻中学開校前の仮校舎校門として使われた由緒あるものです。

新福寺の様子(クリックすると、大きな写真をご覧いただけます) 熊野権現社本堂全景六地蔵尊中門から広場への通路本堂左右に地蔵尊が安置:右側「合掌地蔵」本堂左右に地蔵尊が安置:左側「子育地蔵」本堂向拝中庭から庫裏をのぞむ本堂向拝から客殿と山門をのぞむ角切三本尊阿弥陀佛本堂内陣

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